つきあいだしてから結婚が決まるまでの過程について書いてみようと思います。これは日本人同士でも韓国人同士でも同じようなものだと思いますが、日本と韓国の間にはやっぱり溝があるのも、残念だけど、事実です。その溝が早く埋まることを祈ってやみません。
わたしたちの結婚が具体的に決まったのはつきあいだしてから四年後でした。わたしたちなりに悩んだりもしたけれど、でも、わたしたちは恵まれている方だと思います。もっともっと苦労しているカップルがたくさんいますから。
わたしたちの結婚に必要だったのは『ねばりと根気』でした。
95年の初めに出逢ったわたしとプーは、外国人同士であるため法的に結婚しないと一緒にいられないという考えから、つきあいだしてわりとすぐにお互い『結婚』を意識しました。
プーが日本人とつきあっていることを家族に話したときのことは、はっきりとは聞いていませんが、やはりあまりいい感じでは受け入れられなかったようです。つきあいだして一年ほどたったころ、一時帰国したプーは突然「今すぐ結婚したい」と両親の前で言い出し、家族会議が開かれて大騒ぎになりました。
当時プーは大学に入学したばかりで、わたしは留学の期間を終え日本に帰国していました。ロシアの大学院で学びたいという希望もあったものの、金銭的な事情からそれも不可能で、プーが大学を卒業する四年後まで日本とロシアで遠距離恋愛という、かなり真っ暗なお先にショックを受けての行動でした。
もちろん、まだ大学入ったばかりのプーが結婚、しかも韓国語もできない日本人となんて、認めてもらえるわけがありません。卒業するまでその話はおあずけ、というかたちになりました。
この出来事を知らず、ただプーに会いに初めてわたしが韓国に降り立ったのは、96年の一月のことでした。自分のおかれている状況を全く知らずにプーの家に初めて遊びに行ったのですが、お義母さんがものすごいご馳走でもてなしてくださって、プーを通してお義父さんは色々わたしに質問をなさいました。
ご両親は、わたしとつきあってることをよくは思ってはいなかったと思うのですが、韓国にいた数日間、プーのおうちでも、結婚しているプーのお姉さんたちに会ったときも、嫌な思いをしたことは一度もありませんでした。決して歓迎はされてなかったはずですが、面と向かって反対されることもありませんでした。結婚を認めるわけではないけど、完全に拒否するわけではない、様子を見るのだ、という風に考えていらっしゃったのかなと思っています。
それから数年、日本とロシアで気の遠くなるような遠距離恋愛をしたり、ロシアにまた行ったり、韓国にも何度か行ってその度にプーの家やお姉さんの家におじゃましたりしました。韓国語の方はとりあえずカナダラ(韓国語のあいうえお)は覚えたものの・・・という状態で、相変わらずちっとも話せませんでしたが。
プーのご両親が結婚することをはっきり承諾して下さったのは、98年の夏でした。八月末、わたしはまたプーにくっついてロシアに行くことにし、韓国に入国しました。そのときは少し韓国語で会話ができるようになっていたので、多少は直接コミュニケーションがとれました。その際に、お義父さんが「やっぱり二人の気持ちが一番だから認めるんだ」というようなことをおっしゃっいました。
プーに聞いたところによると、お義母さんはわたしとプーのことを何度も占いで見てもらったそうです。わたしの干支がプーにはピッタリだ、といわれたこともあれば、「長続きはしない、いずれ別れるから心配しなくてもいい」といわれたこともあるそうです。思うに、プーのご両親はわたしたちがこんなにねばり強くつきあい続けるとは思ってなかったんでしょう。
わたしたちの結婚が反対されていたのは、わたしが日本人ということも、プーがまだ学生だということもあったと思いますが、一番のネックはわたしが韓国語まったく出来ないことだったと思います。でも、その韓国語も少しは出来るようになったようだし、プーの大学も来年卒業だし、ということでわたしたちの結婚は決まりました。
わたしの親の側については、たいして書くことはありません。わたしは自分ががすると決めたら親の意見には左右されない、と決めていましたし、実際、「親の反対」というほどのものはありませんでした。
うちの母はとても出来た人で、プーも大好きです。プーに初めて会ったときも、プーに一所懸命日本語で話しかけていました。言葉は通じなくてもプーのことを人間的にとても気に入ったようでした。韓国は儒教思想が色濃く残る国だし、習慣・しきたりの違う国に嫁いで大丈夫だろうか、という心配はあったようですが、「やってみなくちゃわからない」というわたしの意見に、結局は同意してくれました。
父は九州男児だからか、よくある『花嫁の父』的な娘のボーイフレンドに対する嫉妬みたいなものがすごくあったようです。プーは卒業しても院に行くつもりだったので、経済的に自立できないままでの結婚に眉をひそめていましたが、結局うまいこと院に行きながら仕事もすることになったので、一安心したようです。
というわけで、99年二月にプーが一時帰国した際に式場の予約を入れて、わたしたちの結婚式はその年の秋に決まりました。